若手サラリーマンの叫び

日系大手に勤める若手社員の声を聞け

1218のみかい

どうも、ぼくです。

 

昨日は2名の方がこのブログを読んでくれました。

このブログは自己満足なところが大半なのですが読んでくれる人がいるとなると、書く気にもなれますね。

ありがとうございます。

 

高校時代のブログはアクセス数が800超/dayだったので、素人にしてはなかなか多かったと思ってます。

それくらいの人に読まれるブログを目指します。

 

さて、今回は年末に同時多発的に起きている忘年会という悪しき伝統について書きたいと思います。

 

忘年会というものは、会社に巣食う団塊ジュニアのおじさんたちに社内接待をするための場のようなものでして、若手社員にとってはなんのメリットもないただの時間と金の無駄遣いなわけであります。

 

特に若い女性社員に至っては黙示的にアイドルや流行り物のダンス等出し物を強要させられたり、私のような男子社員も葉っぱ隊やなにかしらの余興に駆り出されていました。

 

上司の喜び組、私はそう呼んでいます。

 

この忘年会という文化は日本特有のものらしく、海外ではあまりないそうです。

その起源は鎌倉時代の「年忘れ」と呼ばれる連歌を詠む会にあるそうです。

 

今のような形になったのは江戸時代。

 

親しいもの同士集まって酒を飲みながら、一年の憂さ晴らしをしたことから今のような忘年会のスタイルになったんだとか。

 

なるほど、歌詠むくらいなら、仲良し集まって好きなこと言って酒飲みたいわ。と。自然なことだ。

 

む、ちょっと待てよ。

 

会社の飲み会となると少し状況が違うのではないか。

 

若手社員のストレスの大部分は仕事の、しかも上司によって形成されている。

 

憂さ晴らしの場に、ストレスの原因がいて、接待をする。

 

ストレスが増しているじゃないか。。

 

若手社員が飲み会に行かないというのも、プライベートの時間使ってまで上司の相手をしたくない、そんな時間あるなら恋人や友達と過ごしたいわ、あほ。

ということなのでしょう。

 

それを上司やおっさんは

「若手は飲みに行かない」と言う。

違う。

「若手はお前らみたいなロートル相手と飲みに行かない」だけなのだ。

 

歳をとると、どうも自責の念が薄れてくる。

自分は悪くない、悪いのはお前(あいつ)だ、と。

 

そんな大人にはなりたくない、と思いつつぼくは忘年会へ向かうのであった。

 

皆さんはいかがだろう。

 

大企業に勤めながらも、働いている以上に給料はもらってるではないか、と、もったいないと思うのか。

あるいは、こういった事情を自分にも起こりうるものだと思いながら客観的にもアホ臭い、やめようと思うのか。

 

いまのサラリーと、自身の貢献度は冷静に判断する必要がある。

 

いまの給料だけではなく、居続ければもらえるであろう給料も加味して、将来のキャッシュフローを検討するべきだ。

 

大企業に勤め続ければ、子会社の監査役や役員も将来的なポジションに入ってくる。

しかし、ベンチャーや新興企業に入っては常にポジションを探し続けることになる。

 

なにが正解かは俺にもわからない。

という結果論なんだろうけど、いまの自分が満足し続けられるのであればいいよなあ、と思う。

 

キャリアに悩む20代。

 

答えのない中で色々と思考をめぐらしていくんだろうなあ。

 

でわ。